ダエモンのテレビ日記

テレビ番組の感想を書きます

アナザーストーリーズ 2018年12月4日放送分

アナザーストーリーズ 2018年12月4日放送分

衣笠祥雄へのラストインタビュー

★元広島カープ山本浩二たがコメント
西本聖「すごいバッターだった」
江夏豊「彼は優しかった」

衣笠祥雄の現役時代の映像
・ラジオを楽しむ。
・寝る前に1時間の素振り

★1947年1月18日生まれ
・母子家庭
・中学から始めた野球で頭角を現す
・広島カープに入団したが身が入らず
・アメ車を購入、いきがっていた
・衝突事故で、車を球団にとりあげられてしまう。
・肩も壊してしまう

★4年目にコーチ陣が入れ替わり
根本陸夫監督(当時)から「プロ野球選手としてなにを売るか」と問われた
・フルスイングを物にする
・コーチたちが衣笠を磨いた
・「絶えず考えろ」と関根潤三コーチに言われた
・「やるだけのことをやってから外で遊べ」

外木場義郎「(衣笠が)部屋で一人で練習をして汗びっしょりだった」
・「右利きなのに左手を使って食事をしていた」

★「痛けりゃいつでも言ってこい、永遠に休ませてやるよ」と言われた

★新監督のジョー・ルーツの改革に、衣笠が反発
・帽子の赤ヘルが恥ずかしくて青ヘルを使っていた
・監督の「赤は戦う色だ。優勝するぞ!」の声には呆れた
・当時はジャイアンツが無敵状態
・「君(衣笠)はセ・リーグのチャンピンチームの三塁手としてふさわしいかどうか自己評価してくれ」との監督の言葉に奮起。

・ライバル山本浩二との関係改善

・優勝がかかってグラウンドに行くのか怖くなった
・弱気発言をしたら3番に下げられて唖然、逃げなくなった

カープは戦争直後の復興の象徴だった

★1975年10月15日、ついにセリーグ優勝

★衣笠の連続試合出場記録
・衣笠はスランプ状態。古葉監督から少し休もうかと言われた。
・連続試合出場の記録がかかっていた時期
・代打で連続試合出場をのばしていく。
山本浩二が支えた
・衣笠は何度も骨折などの大怪我を負っていた
・トレーナー福永富雄「止めなきゃいけない、休んでくれれば安心」

★1979年8月1日に巨人との試合でデッドボール、骨折
・乱闘状態に
・衣笠は左肩甲骨亀裂骨折。
・試合は引き分け

★翌日1979年8月2日
・巨人の江川卓に対して衣笠が出場、フルスイングした。
・ファンのため、自分のため、西本くんのため
西本聖「感謝の言葉しかない」

★1979年、広島カープ日本シリーズで初優勝
近鉄との試合、江夏がピッチャー
・江夏は自分の次のピッチャーがピッチングを始めたのを見て激怒
・衣笠から「おまえしかいないだろ」と言われて気持ちが切り替わった

★1987年10月22日引退
・2215試合の連続出場記録を達成

★それぞれの選手たちが衣笠を語る

★衣笠「子どもたちの憧れる正しい選手であれ」